5年の歳月をかけて完成させた『フードジャーニー』。長い旅の果てに日本列島にやってきた人たちが、何を食べ、どう生きてきたのか? 2019年秋の刊行に先駆けてウェブ上で全面公開します。月・木曜日の更新になりますのでぜひご覧になってください。

6知恵の木は決して食べてはならない

2019年8月5日

ホモ・サピエンスのサピエンス(sapiens)には、ラテン語で「賢い」「知恵」といった意味があります。

知恵はホモ・サピエンス最大の特徴と言ってよく、事実、過去の人類に比べたら確かに抜きん出ていたでしょう。

この知恵によって生き残る選択肢が得られたことは確かですが、そこにも光と闇はあります。前述した旧約聖書「創世記」の冒頭、有名なアダムとイヴのエピソードに目を向けてみましょう。

創造主である神は、自らの似姿として生み出したアダムをエデン園に住まわせ、こう告げました。

「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。

しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」(注1)

神はアダムのあとにイブを生み出し、この世界に一対の男女が生まれますが、イブのもとに一匹の蛇が現れ、こう言います。

「あなた方は決して死ぬようなことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者になることを、神は知っておられるのです」(同)

神のように善悪を知る者になる……蛇にそんな魅惑的な言葉をささやかれたイブは、その実を食べてしまいます。アダムもイブにすすめられ、同じように知恵の実を口にします。

ここでいう知恵は、自意識(自我)と呼んでもいいかもしれません。他の動物が持っていなかった自己認識する能力、それは脳で言えば、知性をつかさどる前頭葉の特異な発達と重なるでしょう。

誓いを破って知恵を身につけたアダムとイヴは、楽園を追放され、そこから原罪を背負った人類の苦難の歴史が始まりました。

それをグレートジャーニーと重ねるのは抵抗があるかもしれませんが、少なくとも聖書を原典としているキリスト教やユダヤ教では、知恵というものをあまり肯定的にとらえてはいません。

なにしろ、人が犯してきたさまざまな罪のおおもと、原罪であり、人を神から離反させ、堕落させた元凶なのですから。

光と闇の、闇をつくりだす原因こそが知恵だというのです。

おそらく、人類が現れる前のアフリカの森は、多くの生き物にとってエデンの園のような楽園であったのでしょう。

その森から放り出された人類の歩みは、食べるための切実な旅であり、厳しい自然との戦いでもありました。

事実、ホモ・サピエンスがアフリカから脱出した時期、地球は最終氷期の真っただ中だったと言われています。

寒冷化が進むなか、森に住めなくなったヒトの祖先は知恵を磨くことが何よりも求められました。それは生き延びる手段にとどまらず、狡猾さや残忍さ、欲望を増幅することにもつながったでしょう。

「最終氷期のただ中に極寒の地域で人類が生き延びるためには、後期石器時代革命とよばれる五万年前から四万年前を起源とする知性の発達が重要な役割を果たした。(略)

人類はこの頃からはっきりと創意工夫の跡を残すようになる。(略)

人々は植物採取では十分な食糧が確保できず、トナカイ、ウマ、オオヘラジカといった大型草食動物を狩猟して生活を送っていた。

わずか三家族一五人が生きていくためにも、年間一五〇〇頭のトナカイを捕まえる必要があった。

獲物が季節によって移動するため、自然の移り変わりや動物の動向を把握し、狩猟の罠を仕掛けるといった工夫も行われた」(注2)

その後、最終氷期が終りを告げ、地球が徐々に暖かくなることで人口が増えていったと言われていますが、そこにヤンガードリアスと呼ばれる大規模な「寒の戻り」が起こります。

数千年にわたって再び寒冷化に見舞われるなか、生き延びるために始まったのが農耕であり、牧畜だったと言われています。

農耕の発祥の地としては、1万年ほど前、西アジアで始まった小麦栽培が知られているでしょう。シュメール人がこれを引き継ぎ、チグリス・ユーフラテス川の周辺で初期の都市文明が花開きました。

東アジアの長江流域でも、やはり1万年ほど前に稲作が始まり、やがて北方の黄河流域にも広まります。

また、インドやエジプトでは9000年前に小麦栽培が、人類が長い旅の末にたどり着いたアメリカ大陸でも、8000年ほど前に中南米でトウモロコシの栽培の痕跡が見つかっています。

一般的には、こうした農耕と同時進行で牧畜も始まり、食糧供給が安定することで人口が増加していったとされますが、「農耕・牧畜によって食糧の安定供給が実現し、人口が増えた」とは言えません。

実際、農耕や牧畜が始まる以前に人口は増え、その増えた人口を養うために農耕・牧畜が始まっています(同)。

知恵の実を食べたホモ・サピエンスは、地球の気候が変動するなか、生き延びるために遺伝子のどこかを変異させ、コミュニティを拡大発展させる=人口を増やす方向に舵を切ったのでしょう。

少々まわりくどい言い方に思えるかもしれませんが、種としての志向が変わることで人口が増え、やがて農耕や牧畜による食糧生産が見出されることで、ヒト(ホモ・サピエンス)の社会は急速に拡大していきました。

それができなかったネアンデルタール人は滅びましたが、これ以降、さまざまな文明が花開くなかで争いの種も生まれ、「エデンの園」からはますます遠ざかっていったでしょう。

生存戦略としては成功したことになりますが、それは自然からは明らかに逸脱した道だったと言えます。

聖書が原罪と呼ぶバックグラウンドも、このあたりに見出せます。

旧石器時代の気候変動

ヴォルフガング・ベーリンガー『気候の文化史~氷期から地球温暖化まで』(丸善プラネット)をもとに作成。

(つづく)

注1 「創世記」章2~4(日本聖書協会訳『口語訳聖書』所収)
注2 田家康『気候文明史~世界を変えた8万年』(日本経済新聞出版社)
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プロフィール

ポートフォリオ

長沼敬憲 Takanori Naganuma

作家。出版プロデューサー、コンセプター。30 代より医療・健康・食・生命科学などの分野の取材を開始、書籍の企画・編集に取り組む。著書に、『腸脳力』『最強の24時間』『ミトコントドリア“腸”健康法』など。エディターとして、累計50万部に及ぶ「骨ストレッチ」シリーズなどを手がけたほか、栗本慎一郎、光岡知足などの書籍も担当。2015年12月、活動拠点である三浦半島の葉山にて「ハンカチーフ・ブックス」を創刊、編集長を務める。哲学系インタビューBOOK『TISSUE(ティシュー)』を創刊。科学系インタビューサイト「Bio&Anthropos」(バイオ&アンスロポス)主宰。2018年夏、5年の歳月をかけてライフワーク『フードジャーニー』を脱稿。オフィシャルサイト「Little Sanctuary」(リトル・サンクチュアリ)

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