5年の歳月をかけて完成させた『フードジャーニー』。長い旅の果てに日本列島にやってきた人たちが、何を食べ、どう生きてきたのか? 2019年秋の刊行に先駆けてウェブ上で全面公開します。月・木曜日の更新になりますのでぜひご覧になってください。

9コラム/土地、開墾、そしてアジール

2019年8月15日

アジールのことについて、少し補足しておきましょう。

学生時代、歴史が好きだったこともあり、授業中に教科書を先読みして日本史を組み立てていました。ただ、古い時代からたどっていくなかで、引っかかる箇所がいくつかありました。

その一つが、平安時代に始まったとされる荘園です。いろいろと説明されていましたが、どうもイメージが湧かない。その理由を探っていくなかで面白いことに気づきました。

まず、大元にある土地についての概念から考えてみましょう。

いまの時代、日本では「一つの土地に一つの権利」が当たり前ですが、昔はむしろまれで、一つの土地に様々な権利が複合し、所有者が何人もいることも珍しくはありませんでした。

歴史とは、政治や経済の歴史である以前に、土地を耕し、作物を植える開墾の歴史にほかなりません。

日本の場合、開拓は稲作(水田耕作)と重なり合っていました。米の話は後述しますが、そこで問われたのは、「自分が耕した土地を誰が保証してくれるか?」という権利の問題です。

中央政府の権力が低下すると、中央から派遣される官吏(国司)の力も弱まるため、国の保証はあてにならなくなります。そのなかで中央の有力貴族たちによって勝手に開墾が始まり、そうやって国のあちこちにまだらのように広まっていったのが荘園です。

荘園が広がっていったのは平安時代ですが、その後、鎌倉幕府がつくられると新たに守護や地頭が派遣されるようになります。

形式的には国司がいて、貴族たちが管理する荘園があり、そこにさらに武家が乗り込んで、所有権を主張したわけです。

室町、戦国の世を経て、こうした土地の混乱を一つにまとめ、文字通り、天下統一を果たしたのが豊臣秀吉です。有名な太閤検地によって土地の権利を一元化し、1000年来の混乱を収束させたわけですから、彼はまさに英雄です。

以後、日本史は「秀吉以前・秀吉以後」と区切ってもいいくらいの大きなエポックを迎えることになります。

その後に控えているのが、江戸時代の250年にわたる泰平です。

前置きが長くなってしまいましたが、こうした変遷のなかで、すべての土地がくまなく開墾されていったわけではありません。

江戸時代初期、徳川家康によって日本各地の開墾が飛躍的に進んでいきますが、権利関係が整理されるようになっても、「誰のものでもない土地」はあちこちに残されていきました。

じつはそれこそが、国家の管理が及ばないアジールであり、そこに身を置く多くは稲作文化の圏外の人たちでした。

神社や仏閣のように、聖域として機能する場合も多かったでしょう。駆け込み寺のように、女性の避難場所として機能したアジールもありました。天下統一をした秀吉も、このアジールから湧き上がってきたような存在です。

歴史学者の網野善彦さんは、「文学・芸能・美術・宗教等々、人の魂をゆるがす文化は、みな、この『無縁』の場に生まれ、『無縁』の人々によって担われているといってよかろう」と述べています(注1)。

人と人とのつながり=縁=共同体、その埒外にあるものが無縁=アジール。網野さんは、それをこう表現します。

「そこにふれ、またとびこむと、外の勝負、戦闘とは関係なくなり、安全になる場所や人、またそこに手をふれ、足をふみ入れることによって、戦闘力、活力を回復しうるような空間や人間」(同)

すべてが決まっているような日常、遊びのない世界に窮屈さを感じた人たちは、アジールに焦がれました。

実際、存在の保証がなくなるリスクを引き換えにアジールに属し、芸人、職人、遊女、修行者として生きた人もいたでしょう。

そもそも日本は、江戸時代にあってもさほど土地に縛られていません。

奉公という形で江戸と地方を行き来することは当たり前であり、土地を持たない水飲み百姓のなかには、海運業を営み巨利を得る者もいるなど、あちこちに抜け道がありました(注2)。

封建社会は身分に縛られ、不自由だったというのは幻想かもしれません。

聖なるもの、高貴なるものはつねに周縁で生まれ、極(きわ)から世の中を動かし、文化を創造していきます。聖は厳しい生の世界でもありますが、そこには確かに自由が同居していました。

すき間の多いカオスの中にこそ、生きる自由は存在します。

こうした構造を世界全体に広げると、日本列島そのものがユーラシアのアジールだったという話につながります。その原型が、稲作の広まる以前の縄文世界だったと言っていいかもしれません。

話が少し先走りすぎてしまいました。

時間の針を戻し、アジールの原型である縄文の社会はどうつくられていったか? 物語を再開させましょう。

(第2章につづく)

注1 網野善彦『無縁・公界・楽』(平凡社)
注2 網野善彦『日本の歴史をよみなおす (全)』(筑摩書房)
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プロフィール

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長沼敬憲 Takanori Naganuma

作家。出版プロデューサー、コンセプター。30 代より医療・健康・食・生命科学などの分野の取材を開始、書籍の企画・編集に取り組む。著書に、『腸脳力』『最強の24時間』『ミトコントドリア“腸”健康法』など。エディターとして、累計50万部に及ぶ「骨ストレッチ」シリーズなどを手がけたほか、栗本慎一郎、光岡知足などの書籍も担当。2015年12月、活動拠点である三浦半島の葉山にて「ハンカチーフ・ブックス」を創刊、編集長を務める。哲学系インタビューBOOK『TISSUE(ティシュー)』を創刊。科学系インタビューサイト「Bio&Anthropos」(バイオ&アンスロポス)主宰。2018年夏、5年の歳月をかけてライフワーク『フードジャーニー』を脱稿。オフィシャルサイト「Little Sanctuary」(リトル・サンクチュアリ)

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