5年の歳月をかけて完成させた『フードジャーニー』。長い旅の果てに日本列島にやってきた人たちが、何を食べ、どう生きてきたのか?
第3章では、いよいよ日本人のアイデンティティである「和」と「太陽」の本質に迫ります。月・木曜日の更新になりますのでぜひご覧になってください。

7日本列島に広がる太陽信仰ネットワーク

2019年10月3日

太陽信仰は古代が始まりだったわけではなく、縄文時代の段階から当たり前のように根づいていたようです。

たとえば、秋田の大湯環状列石、能登の真脇遺跡、飛騨の金山巨石群、さらには青森の三内丸山遺跡など、どれも二至二分(夏至・冬至・春分・秋分)と深い関わりが見られます。

「山梨県牛石遺跡、群馬県の天神原遺跡の真西には、それぞれ三ツ峠山、妙義山という三峰型の山がある。春分と秋分には、どちらの遺跡からも三峰の中央に日が沈むのを目撃できる。

各地の環状列石の石の配置にも、夏至や冬至の日の太陽の位置を指し示したものが多い。

三内丸山遺跡の掘立柱建物の六本柱も注目に価する。三本ずつ並んだ柱の列は、夏至の日の出と冬至の日の入りを指し示しているのだ。柱の間に見えるダイヤモンドフラッシュの陽光は荘厳そのものである」(注1)

縄文時代に始まっていた「太陽信仰」

秋田県鹿角市・大湯環状列石(平凡社『別冊太陽 日本のこころ212 縄文の力』所収)

最近では、飛騨地方南部の山あいに点在する金山巨石群も、巨石のすき間のどこに太陽の光が差し込むかによって、二至二分の日づけを詳しく確認できることが判明しています(注2)。

前述の渡辺豊和さんは、こうした太陽信仰とのつながりが日本列島のほぼ全域に張りめぐらされていたととらえます。

冬至のライン、そして夏至の日の入りのラインに沿って一定間隔で平行線を引いていくと、その線上に各地の主だった聖地(山頂や巨石、神社など)が乗ってくるというのです。

先ほどの三輪山と二上山を結ぶラインは北緯34度32分にあたり、こちらも伊勢神宮の斎宮から淡路島にいたるまで、東西の線上に太陽信仰にまつわる様々な史蹟が乗ってくるという指摘もあります。

そのため「太陽の道」と呼ばれることもありますが(注3)、太陽のほしいままな運行を基準にしてきた人たちが、二至二分に注目し、モニュメントを設けたとしても、それ自体不思議ではありません。

そもそも、現代に生きるわれわれとは感覚が根本的に違っていたのです。

この種の説には様々なバリエーションがあり、真相はつかみにくいところがありますが、極東のアジールがアニミズムをベースにした「太陽の国」だったことは確かなのでしょう。

のちの日本という国号からも想起されるように、ことほか太陽にシンパシーを抱き、そこに生命の営みを感じてきたのです。

(つづく)

注1 小林達雄『縄文人のインテリジェンス~10のキーワードで解く』(平凡社『別冊太陽 日本のこころ212 縄文の力』所収)
注2 小林由来・徳田紫穂『金山巨石群の「縄文」太陽観測ガイド』(三五館)
注3 水谷慶一『知られざる古代〜謎の北緯三四度三二分をゆく(日本放送出版協会)
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プロフィール

ポートフォリオ

長沼敬憲 Takanori Naganuma

作家。出版プロデューサー、コンセプター。30 代より医療・健康・食・生命科学などの分野の取材を開始、書籍の企画・編集に取り組む。著書に、『腸脳力』『最強の24時間』『ミトコントドリア“腸”健康法』など。エディターとして、累計50万部に及ぶ「骨ストレッチ」シリーズなどを手がけたほか、栗本慎一郎、光岡知足などの書籍も担当。2015年12月、活動拠点である三浦半島の葉山にて「ハンカチーフ・ブックス」を創刊、編集長を務める。哲学系インタビューBOOK『TISSUE(ティシュー)』を創刊。科学系インタビューサイト「Bio&Anthropos」(バイオ&アンスロポス)主宰。2018年夏、5年の歳月をかけてライフワーク『フードジャーニー』を脱稿。オフィシャルサイト「Little Sanctuary」(リトル・サンクチュアリ)

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