9日本人のルーツと「二重構造」モデル
2019年10月10日
これまで見てきたように、大元にあるアニミズムの感覚は原始社会のあちこちで見られる普遍的なものです。
太陽信仰もまた、日本だけに固有のものではありません。
注目すべきなのは、こうした多神教的なエッセンスと外来の文化が融合していった点でしょう。
一神教的な価値観が入り込むことでこうしたアニミズムの世界は破壊され、変質を余儀なくされましたが、日本ではこれらが融合し、小さな和のコミュニティが大和へと統合されていきました。
ここに「天皇」という称号のルーツを重ね合わせてみましょう。
一般的には、古代中国で北極星が神格化されることで生まれた「天皇大帝」がルーツとされていますが(注1)、その天皇家が祖霊として祀っているのは太陽神である天照大神です。
大和という集合体へ統合されていく過程で、一神教的な世界観の象徴である天皇がアニミズム的な祭祀を取り仕切る神主となり、その伝統がいまに継承されているという不思議な経過をたどります。
自然人類学者の埴原和郎さんは、発掘された歯や骨の形状を統計学的に分析することで、「東南アジアから渡来した縄文人と、のちに北アジアから渡来した弥生人の混血が日本人のルーツである」という、有名な「二重構造」モデルを唱えました(注2)。
縄文人と弥生人の顔や体格の違い、東日本と西日本の文化的な違いなど、いま多くの人がイメージする日本の二面性は、埴原さんの研究にどこかしら影響を受けているところが大きいでしょう。
最近では、遺伝学者の斉藤成也さんが核DNAの解析から日本人のルーツを探り、埴原さんの二重構造説を検証しています。これまでの整理も兼ね、そのポイントを挙げてみましょう。斎藤さんは、次の3つのステップで「日本人」の成り立ちをとらえています(注3)。
① 縄文人の祖先は、東アジアや東南アジアの人たちと分岐するよりも古い時代に、様々なルートから日本列島にやって来た。
↓
② 縄文時代末期、朝鮮半島、遼東半島、山東半島などを経由し、新たなグループが渡来し、土着の縄文人と混血した。
↓
③ 弥生時代以降、稲作技術を持った人たちが渡来し、日本列島の中央部に進出、古い時代の渡来民との間に二重構造が生まれる。
「日本人」成立の3つのステップ
①が渡来の第1段階にあたりますが、斎藤さんの解析の興味深いところは、縄文人の渡来ルートが朝鮮半島経由に限らず、北方や南西諸島など多岐にわたっているという点です。
また、②の縄文末期に新たに渡来民がやってきますが、その後も渡来は断続的に続き、縄文人と混血した②グループと遅れてやってきた③のグループの間に軋轢が生じたことも示唆しています。
③グループの中心をなしたのがのちの天皇家ということになりますが、その統治システムが独特であるのは、こうした日本列島特有と言っていい二重構造のうえに成り立っていたからでしょう。
紆余曲折がありつつ、古い時代の太陽信仰と大陸からの北極星信仰がゆるやかに融合したところに天皇制が生まれ、絶対権力とは言えない曖昧な形のまま歴史を支えていくことになるのです。
(つづく)
プロフィール
長沼敬憲 Takanori Naganuma
作家。出版プロデューサー、コンセプター。30 代より医療・健康・食・生命科学などの分野の取材を開始、書籍の企画・編集に取り組む。著書に、『腸脳力』『最強の24時間』『ミトコントドリア“腸”健康法』など。エディターとして、累計50万部に及ぶ「骨ストレッチ」シリーズなどを手がけたほか、栗本慎一郎、光岡知足などの書籍も担当。2015年12月、活動拠点である三浦半島の葉山にて「ハンカチーフ・ブックス」を創刊、編集長を務める。哲学系インタビューBOOK『TISSUE(ティシュー)』を創刊。科学系インタビューサイト「Bio&Anthropos」(バイオ&アンスロポス)主宰。2018年夏、5年の歳月をかけてライフワーク『フードジャーニー』を脱稿。オフィシャルサイト「Little Sanctuary」(リトル・サンクチュアリ)