6貨幣となった「聖なるコメ」
2019年11月11日
物語の舞台を少し古い時代、国の黎明期に戻しましょう。
縄文社会の小さな和が大きな和に統合され、古代の大和国家が成立していく過程で展開されていったのは、コメという作物が不思議なほどに強い力を持つ、古代アジアでも特異なシステムでした。
事実、日本の食文化からコメは切っても切り離せません。
ご飯と言えばコメが思い浮かびますし、過去に比べて消費量が減ったとはいえ、いまも主食として多くの人が口にしています。コメの自給率にかぎっては95パーセント、ほとんどが国産です。
そこまでコメが重視された理由は、どこにあるでしょうか?
食文化研究の第一人者である石毛直道さんは、広くアジアを見渡しつつ、「この地域で栽培された作物のなかで、単位面積あたりの収量が最大なのがイネなのである」(注1)と、まず収量の多さを語ります。
また、コメとコムギのタンパク質の量を比較しながら、必須アミノ酸のバランスではコメのほうがはるかに優れている点を指摘します。
「……副食物なしで、人体を維持するための蛋白質を米からだけで摂取するとしたならば、体重70キロの人は調理しない状態での米を一日約0.8キロ食べなくてはならない。(中略)
それにたいして、(中略)コムギでつくったパンだけを食べると仮定した場合は、約3キロ摂取しなくてはならない。それだけの質量のパンはかさがおおきく、胃袋の容積を超えている」(同)
そのためパンの場合は、必須アミノ酸を肉・ミルク・乳製品などから摂る必要が出てきますが、コメに関してはカロリーもタンパク質もかなりの割合で補うことができます。「じゅうぶんな量の米さえ確保できれば、食糧問題の大半が解決できる」(同)わけです。
つまり、生産性が高く、栄養価が高い……それゆえに主食と呼ばれるまで普及していったということですが、こうしたカロリーや栄養素だけがコメが尊ばれる理由だったのでしょうか?
おなじ稲作文化を享受するアジアのなかでも、日本には尋常ではないコメへのこだわりが見え隠れします。
なぜか? コメは食糧であると同時に“お金”でもあったからです。
近年の研究では、稲作は中国の長江流域で生まれ、アジアの各地に伝わっていったことが明らかになってきました(注2)。
その結果、中国や朝鮮でも、東南アジアでもコメが食されてきましたが、貨幣にまでなったのは日本だけです。いや、小麦やトウモロコシが貨幣として用いられたという話だって聞いたことはないでしょう。
とはいえ、それはわれわれがイメージしている「交換手段としてのお金」とイコールとは言えません。
本来、お金は物流における交換手段ではなく、「神様へ捧げる供物」としての性質を持っていたからです。
日本列島に暮らす人にとって、ある時期からコメがその意味でのお金、つまり聖なる捧げものとして機能しはじめたのです。
コメとお金のつながりについてさらに考えてみましょう。
経済人類学者の栗本慎一郎さんは、お金(貨幣)の起源は「贈与に対する返礼=支払い手段」にあったと語ります。
古代社会では、王は集めた富を民衆に再分配する義務を負い、それゆえに宗教的権威を保っていました。要は、与えることで相手を圧倒し、権威を得るわけですが、与えられた側はそのままでは立場が不安定になるため、受け取った負荷を払いのけようとします。
「この払いのけ、支払いは、宗教上、神に対する債務を祓いきよめるお祓いと同根だ。(中略)だから、貨幣的物在が登場したとき、間違いなくそれはまず支払いの手段である」(注3)
神様に祈りを捧げるということは、それを権威と認め、祈ることでなんらかの恩恵を得ることを意味します。
その受け取った恩恵に対する支払い(=お祓い)の手段として、それぞれの共同体の中で通用する物在が貨幣(供物)として用いられました。
地域によって貝であったり、魚のキバであったり、穴の開いた平たい石であったり……さまざまなバリエーションがありましたが、日本ではそれが稲束=コメであったということです。
天皇家は、この「聖なる食」を管理することで権威を保ってきたと言えますが、ではなぜコメだったのでしょうか?
そこで求められるのは、「全体の総意」でしょう。
時の為政者が強大な権力を持っていたとしても、それだけで社会システムが動き出すわけでは必ずしもありません。コメが貨幣=支払い手段になるには、ある一定規模のコミュニティのなかで「コメは聖なるものだ」という共有が必要になるからです。つまり、日本列島に住み着いていた人たちが、まずコメを“選んでいる”はずなのです。
こうした総意のベースにあるのは、そこに住む人たちの感性です。
コメを聖なる食と見なし、その後、江戸時代にいたるまで経済の基軸に置いてきた……その感性は何に由来するのでしょうか?
(つづく)
プロフィール
長沼敬憲 Takanori Naganuma
作家。出版プロデューサー、コンセプター。30 代より医療・健康・食・生命科学などの分野の取材を開始、書籍の企画・編集に取り組む。著書に、『腸脳力』『最強の24時間』『ミトコントドリア“腸”健康法』など。エディターとして、累計50万部に及ぶ「骨ストレッチ」シリーズなどを手がけたほか、栗本慎一郎、光岡知足などの書籍も担当。2015年12月、活動拠点である三浦半島の葉山にて「ハンカチーフ・ブックス」を創刊、編集長を務める。哲学系インタビューBOOK『TISSUE(ティシュー)』を創刊。科学系インタビューサイト「Bio&Anthropos」(バイオ&アンスロポス)主宰。2018年夏、5年の歳月をかけてライフワーク『フードジャーニー』を脱稿。オフィシャルサイト「Little Sanctuary」(リトル・サンクチュアリ)