6石を花に見ている「まなざし」
2020年3月12日
「石の花の」の物語の冒頭、フンベルバルディンク先生の引率で生徒たちがスロベニア北部、ポストイナにある鍾乳洞を訪れるシーンがあります。
全長20キロにも及ぶ鍾乳洞をトロッコ列車でたどっていく行程には、「30年に1ミリ」という気の遠くなる時間をかけて形成された大小様々な石の芸術が見られるといいます。
なかでも圧巻なのが、ブリリアントと呼ばれる高さ5メートルもの白い鐘乳石。「まるで花のようだわ。石でできた花……!」、物語でもフィーが思わずため息をもらします。
フンベルバルディンク「うん、そうだ! 石の花が咲きほこっている。何万年、いや、何百万年もかかってね」
クリロ「じゃあ、石が花になったんだ。これも突然変異かい?」
フンベルバルディンク「こ、これは生きものではないからなァ……」
こんなやりとりのあと、フンベルバルディンク先生はひらめいたように、「クリロ、きみにもこれが石の花に見えた。それだよ、すばらしいじゃないか!!」と声をあげます。
「これは石の花じゃない! 花に見ているのはぼくたちのまなざしなんだよ」
物語はこの鍾乳洞を出たあと、ドイツ軍の突然の空襲に遭うことで急展開します。
不意打ちのように戦争が始まり、フンベルバルディンク先生は謎かけのようなメッセージを残して行方知れずとなりますが、クリロとフィーは彼の言葉をたえず問い続けます。
僕自身、ことあるたびにこの不思議な吸引力をもった言葉を反芻してきました。
花に見ているのはぼくたちのまなざし……外側に価値が存在していて、それを知るのではない。自分自身が世界の価値を決めている。クリロとフィーは戦争という過酷な体験を通して、こうしたまなざしを手に入れます。
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まなざしは生きる力そのものです。
たとえば、物理学者のマイケル・ポランニーは、ノーベル賞候補と目される輝かしい実績を残しながら、突如、哲学者へと転向します。
そこで提示されたのが、人に内在している「暗黙知」という概念です。
何かを認識する以前のところに、体系化できない、全体をつかみとるような知が存在している……それを暗黙知と呼ぶのなら、人は世界を認識する以前に世界そのものを感じていることになります。『石の花』に描かれたまなざしは、この暗黙知とのつながりを思い起こさせます。
世界の中心にきみ自身がいるんだよ……フンベルバルディンク先生ならば、微笑みながらそうささやくかもしれません。
ニーチェの思想も、まなざしを知る大きなヒントになりましたが、竹田青嗣さんはニーチェの先に広がる世界も教えてくれました。
それが、フッサールの現象学です。
現象学では、主観の世界をさらに深く突き詰め、「リンゴをどう認識しているか?」ではなく、「リンゴをリンゴであると確信しているものは何か?」を問います。
主観=自分の感覚から臆見(思い込み)を取り除いていき、最後の最後に残る「疑い得ないもの」を浮き彫りにしていくわけです。
疑わしいものをすべて取り去っても、それでもなお最後に残るもの……それこそが、まなざしの本質かもしれません。
この世界をうつくしいと感じるのも、みにくいと感じるのも自分自身なのです。外側に「うつくしい」「みにくい」が存在しているわけではない以上、この事実に抗っているうちはルサンチマンが温存され続けるだけでしょう。
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この世界を自分はどう見たいのか? 世界と自分を一つに重ね、理想と現実の溝をなくすには、原理的にそう問うしかありません。
おそらくそれは、この世界とどう関わりたいのか? どんな世界をつくりたいのか? という問いにもつながっていきます。
坂口さんは、別のところでこうも語っています。
「会社で朝から晩まで帳簿とにらめっこしている人も、テレビゲームに目を輝かせている子供も、下校途中アイスクリームをなめながらおしゃべりしている女学生も、庭に水を撒いているお年寄りも、常に世界と向き合っているわけだ。
そして、私たちは必ず肯定か否定かを選択して生活している」(注1)
第二次大戦を乗り切り、連邦国家として独立したユーゴスラビアは、英雄チトーの傑出した政治力によって東西陣営のいずれにも属さない独自の社会主義体制を構築します。
ただ、1980年にチトーが亡くなると、民族対立が表面化していき、1991年、クロアチアとスロベニアの独立宣言を機に分裂。
その後、ボスニア・ヘルツェゴビナの独立をめぐって紛争が泥沼化。セルビアの自治州だったコソボも紛争の末に独立、最期に残ったセルビアとモンテネグロが分裂したことで、2006年に連邦国家は解体されます。
この地域の複雑きわまりない政治情勢は、本質的には大戦前と変わらず、理想社会など夢のまた夢、人という生き物のどうしようもない業ばかりが見えてくるかもしれません。
大学時代、『石の花』を読んだ友人が、ちょっと冷ややかなまなざしで、
「でも、ユーゴって分裂しちゃったんだろ? クリロだってどうなっているかな」
と言ったのを覚えています。実際、クリロは、フィーは、大戦後の新しい社会で何を感じ、どう生きていったでしょうか? あの時、何と答えたか忘れてしまいましたが、
「どの時代、どの環境であろうと、結局、自分がどう生きるかということだよね」
いま答えたらそんな感じかもしれません。まあ、いきなりその返事は重すぎるので、優しくあいまいに微笑むだけかもしれませんが。
(おわり)
「戦争映画というとアメリカ、イギリスの活躍が出てくるので食傷気味であったのも事実であるが、民衆が抵抗に立ち上がったパルチザンに興味をひかれたこと、そしてユーゴは、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字が混在する複雑な環境であることの二点が、私の積極的な創作動機となった。特に“複雑な環境”は、この世界の縮小版ともいえる」(文庫版あとがきより抜粋)。主人公クリロとフィーの成長物語、様々なキャラクターが奏でる群像劇としても圧巻。1984年、潮出版社(希望コミックス)より初版発行。単行本全6巻、文庫版全5巻(講談社)。現在、取り扱いは電子書籍のみ。
学習と記憶を繰り返しながら自己増殖し、やがて「自我」を持ち、「変態」まで始めた新型バイオチップ「我素」。開発メンバーの日暮月光博士が我素とともに行方不明になると、世界各地でデータバンクがハッキングされ「VERSION」というメッセージが残される。木暮の娘・映子と私立探偵・八方塞はオーストラリアへ捜索の旅に出るが……。「古今東西すべての小説・映画・まんがの中で、いちばん最高のAI物語は、他のどれでもなくまさにこの『WERSION』です!」(作家・瀬名秀明)1991年、潮出版社(希望コミックス)より初版発行。単行本全3巻。現在、取り扱いは電子書籍のみ。
プロフィール
坂口尚 Hisashi Sakaguchi
1946年5月5日生まれ。高校在学中の1963年に虫プロダクションへ入社。アニメーション作品『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『リボンの騎士』などで動画・原画・演出を担当。その後フリーとなり、1969年、『COM』誌にて漫画家デビュー。以後多くの短編作品を発表しつつ、アニメーションの制作にも携わり、24時間テレビのスペシャルアニメ『100万年地球の旅 バンダーブック』『フウムーン』などで作画監督・設定デザイン・演出を担当。1980年、代表作の一つ『12色物語』を執筆。1983〜1995年まで、長編3部作となる『石の花』『VERSION』『あっかんべェ一休』を断続的に発表。1995年12月22日、49歳の若さで逝去。1996年、日本漫画家協会賞 優秀賞を受賞。
坂口尚オフィシャルサイト「午后の風」 http://www.hisashi-s.jp
長沼敬憲 Takanori Naganuma
作家。出版プロデューサー、コンセプター。30 代より医療・健康・食・生命科学などの分野の取材を開始、書籍の企画・編集に取り組む。著書に、『腸脳力』『最強の24時間』『ミトコントドリア“腸”健康法』など。エディターとして、累計50万部に及ぶ「骨ストレッチ」シリーズなどを手がけたほか、栗本慎一郎、光岡知足などの書籍も担当。2015年12月、活動拠点である三浦半島の葉山にて「ハンカチーフ・ブックス」を創刊、編集長を務める。哲学系インタビューBOOK『TISSUE(ティシュー)』を創刊。科学系インタビューサイト「Bio&Anthropos」(バイオ&アンスロポス)主宰。2018年夏、5年の歳月をかけてライフワーク『フードジャーニー』を脱稿。2020年4月、『ゆるむ! 最強のセルフメンテナンス』を刊行。
オフィシャルサイト「Little Sanctuary」(リトル・サンクチュアリ)