生命科学というと、自分たちの日常とはどこか遠い、特別な世界の話のように感じられるかもしれません。
でも本来、生き物の「いのち」を扱っているのが生命科学です。それが遠い場所にあるのだとしたら、どこかがおかしい。そんな思いで「生命科学」から「生命誌」へと展開し、生命のいとおしさを紡いできた中村桂子さん。
私たちが生きているバックグラウンドには、生物が歩んできた38億年の歴史がある……そんな「生命誌」の語り部である中村さんに、ぜひお話ししてほしいとお願いしたのが、禅僧として多方面で活躍する藤田一照さんでした。
禅と生命誌。こちらも一見すると遠い場所にありそうですが、共通項になるのは「いのち」を見つめるまなざし。たがいの世界観が混ざり合って、この現実の中で「強く、優しく」生きていくための言葉が生まれたなら……。
2017年2月、中村さんのドキュメンタリー映画『水と風と生きものと』の上映会のあと、初対面したお二人のトークが始まりました。

長沼敬憲(ハンカチーフ・ブックス編集長)

2「外から目線」になっていませんか?

2019年8月29日

藤田
みんな同い年ということですね。同い年で兄弟で……。
中村
親をひとつにした同い年の仲間です。そういう視点で生き物を調べていこうと思って始めたのが生命誌です。この中でもうひとつ言いたいのは、「扇の内側に人間がいる」ということです。
藤田
(「生命誌絵巻」の内側の)一番左端にいますね。
中村
どこにいてもいいのですけど、たまたま。現代社会の政治や経済を動かしている方たちは、おそらく「人間は扇の外」、しかも上のほうにいると思っているでしょう。ですから、私は「地球に優しく」と言う方に「それは上から目線じゃないですか?」と言うんです。扇の中にいたら、優しくしてもらえないと生きていけないのですから。
藤田
映画の中でも、「人間は生き物です」ということを強調されていましたね。人間が生き物の外側にいるような立場でものを言ったり、行動したりするところに、先生ご自身、問題を感じていらっしゃるからですか?
中村
それをやめるともっと暮らしやすくなるというのが私の気持ちなんです。
藤田
この「生命誌絵巻」は、科学的な裏付けがあって描いていらっしゃるんですよね? ですから、これに文句を言う人は科学を認めない人だということになりますね。

生命誌絵巻


中村
ええ、これ自体は科学をベースにしているので誰も否定しません。それなのに、日常に戻るとついつい気持ちとして「外から目線」になる。事実として「人間である自分が扇の中にいる」と考えてくださいませんかと言いたいのです。
藤田
映画の中で、建築家の伊東豊雄さんと「世界観を持つことがいかに大事か」という話をされていましたが、頭ではわかっていても世界観のところはなかなか変わらないという……。
中村
そうなんです。生意気を言えば、機械論的な世界観に対して生命論的な世界観を持つことが、21世紀では大事だと思うのです。
藤田
物理学で言えば、ニュートン物理学が19世紀の終わりまでにはすべてを説明できる、ほとんど解決できると思っていたけれど、じつは説明できない問題がいくつかあって、そこから量子力学や相対性理論のような現代物理学ができてきたわけですよね。こうした流れの先に、もう少し生命誌的な生物学の流れができてくることはあるでしょうか?
中村
急に今日から明日へと変わるものではないでしょうが、長い目で見れば変わっていくと思います。
藤田
生命科学をずっと見てこられた方たちは、同じように生命論的な方向にシフトしていくべきだという考えを持っておられるんですか?
中村
「べきだ」ではなく、自然と「そうなんじゃない」という感じですね。生物学には「べきだ」という言葉がないんです。「蜘蛛がいます、蜻蛉がいます、蝶がいます」というふうにいろいろなものがいますよね? 「蜘蛛がいてもいいじゃない、蟻も蝶もかわいいね」ということで考えていかないと。とにかくすでに「いる」わけです。しょうがないでしょ? 「べきか、べきでないか」と言ってもすでに「いる」のですから。仏教もそうですよね?
藤田
仏教の修行というと、(こうあるべきだという)「べき集」みたいなものをこなしていくものだと僕も最初は思っていたんです。みんなができそうにもない「べき集」をこなすのが偉いと思っていたんですが、それは仏教をわかっていない人が持ちがちな間違ったパラダイム、世界観でした。よく読んでみるとそうではなく、内側から生まれてくるもっとイキイキとして自発的で、その時ごとにフレッシュなものが大事なんです。
中村
「べき」ではなく、自分がやれることをやりましょうということですよね。
藤田
生命的に生きなさいというのは、「生き物として」生きなさいということで、ロボットのように生きるのとは違うということですね。極端な話で言えば、プログラム化されたものをちゃんとこなして間違うことなくずっとやっていきなさいというのとは、だいぶイメージが違っています。坐禅でも、僕も最初は「これはやってはいけない」とか「こうしなければいけない」みたいなことを考え、できたかできないかで見ていたんですが、本来はそうではなく、生命論的なパラダイムでやらなければいけないのだと。いまはだから、僕の中でも機械論的修行観から生命論的修行観へゆっくりシフトしているような感じです。

(つづく)

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プロフィール

ポートフォリオ

(上)中村桂子 Keiko Nakamura

1936年東京生まれ。59年、東京大学理学部化学科卒。理学博士。三菱化成生命科学研究所、早稲田大学人間科学部教授などを経て、93年、大阪・高槻市に「JT生命誌研究館」を設立。大腸菌の遺伝子制御などの研究を通じ、生物に受け継がれている生命の歴史に着目、「生命誌」を提唱する。2002年、同館の館長に就任、現在に至る。著書は『生命科学から生命誌へ』『自己創出する生命』『科学者が人間であること』『小さき生き物たちの国で』など多数。2015年、ドキュメンタリー映画『水と風と生きものと〜中村桂子・生命誌を紡ぐ』(藤原道夫監督)が公開された。http://www.brh.co.jp
 
(下)藤田一照 Issho Fujita

1954年、愛媛県生まれ。東京大学教育学部教育心理学科を経て、大学院で発達心理学を専攻。28歳で博士課程を中退し禅道場に入山、得度。33歳で渡米。以来17年半にわたりアメリカで坐禅を指導する。スターバックス、フェイスブックなど、アメリカの大手企業でも坐禅を指導し、曹洞宗国際センター所長を務める(2010~18年)。著書に『現代坐禅講義』(角川ソフィア文庫)、『禅僧が教える考えすぎない生き方』(大和書房)、『僕が飼っていた牛はどこへ行った? ~「十牛図」からたどる「居心地よい生き方」をめぐるダイアローグ』(ハンカチーフ・ブックス)など。共著に『感じて、ゆるす仏教』(KADOKAWA)、『禅の教室』(中公新書)、訳書に『禅マインドビギナーズ・マインド2』(鈴木俊隆著、サンガ新書)、『禅への鍵』(ティク・ナット・ハン著、春秋社)など。http://fujitaissho.info

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TISSUE vol.03

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特集:まなざしのいいひと

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