生命科学というと、自分たちの日常とはどこか遠い、特別な世界の話のように感じられるかもしれません。
でも本来、生き物の「いのち」を扱っているのが生命科学です。それが遠い場所にあるのだとしたら、どこかがおかしい。そんな思いで「生命科学」から「生命誌」へと展開し、生命のいとおしさを紡いできた中村桂子さん。
私たちが生きているバックグラウンドには、生物が歩んできた38億年の歴史がある……そんな「生命誌」の語り部である中村さんに、ぜひお話ししてほしいとお願いしたのが、禅僧として多方面で活躍する藤田一照さんでした。
禅と生命誌。こちらも一見すると遠い場所にありそうですが、共通項になるのは「いのち」を見つめるまなざし。たがいの世界観が混ざり合って、この現実の中で「強く、優しく」生きていくための言葉が生まれたなら……。
2017年2月、中村さんのドキュメンタリー映画『水と風と生きものと』の上映会のあと、初対面したお二人のトークが始まりました。

長沼敬憲(ハンカチーフ・ブックス編集長)

3思考をかぶせないで味わう

2019年9月5日

中村
瞑想というと私たちには近寄りがたいもののように感じてしまいますが、むしろ自分の内側から出てくるものを大事にしようということなのですね?
藤田
「自分が生きているということを直接味わいなさい」という言い方をしてもいいかもしれません。たとえば、精神統一とか無念無想というような自分が思い描いた理想に持っていくのではなく、いますでに自分が「ある」ことを、思考をかぶせないで深く直接に味わっていこうというものじゃないかと。
中村
生物学と同じです。先ほど言いましたように「蜘蛛も、蟻もいる……」という、その「いる」ということを大事にして、しかも自分の中から出てくることを大事にして考えていきましょうというところは本当に同じです!
藤田
なるべくいじらず、自由を与えて、自由から秩序が生まれてくるのを目撃しなさいということで、他律的に外から秩序を押し付けるのとは違うんです。男というのは頭でっかちなので、そういう押しつけをやってしまいがちですが……。
中村
それは、頭の思考が先に走ってしまうという感じでしょうか?
藤田
本当にそうです。
中村
体の内側から出てくるやり方を進めていくのは?
藤田
その点で生命誌的な生命の見方、生きているということのとらえ方に、禅は非常に寄り添っていると思います。
中村
生命誌と重なりますね。
藤田
非常に親密な関係かなと。
中村
なるほど。ありがとうございます。
藤田
だから、中村先生の本(『科学者が人間であること』)の中に僕の好きな人がいっぱい出てくるんだなと納得できます(笑)。宮澤賢治は出てくるし、南方熊楠は出てくるし、今日来る時に読んでいたら、マイケル・ポランニーも出てくるし……。
――
あと大森荘蔵先生もそうですよね?
藤田
ああ、そうですね。
中村
大森先生は物理学者から哲学者になられた方です。本当に素敵な方で、私はいろいろなことを教えていただきました。正直、おっしゃることは難しかったですが、その難しい言葉の中で私が「これだ!」と思ったことがいくつかあり、そのひとつが「重ね描き」です。
大森先生は「科学というのは様々なことを調べるものであり、調べるべきはどんどん調べなさい」と。科学はすべてを数字・数値で表すという点で日常的とは言えませんが、大森先生はもっと厳しい言い方で「科学はすべてを死物化してしまう」とおっしゃったんです。つまり、生きているものなのにすべて細分化して、そこだけを見てしまっていると。
藤田
ひとつの生命をバラバラにして分析しようとしていると……。
中村
だから、たとえば原始時代の人々は自然も生きているというふうに受けとめていた。だけど、そんなすべてを死んだものにしてしまったのが「科学」だと。ある意味では、科学に対してとても厳しい言い方ですよね。
藤田
はい。僕も(東大の学生だった時)授業を取ったことがありますから、大森先生のことは存じています。
中村
たとえば、生物学でDNAなど調べていても、「それは生き物を調べているわけではないよ。死物にしてしまっているんだよ」と言われました。だけど、大森先生はここで救いを出してくださって、「そういう調べ方をやってはいけないとは言わない。だけど、そんな調べ方で生き物がわかるわけではない」と。
では、何をしなければいけないか? 私は科学の世界にいますが、それだけが私ではないわけです。先ほどお話ししたように、泣く赤ちゃんをあやし、家事も料理もしなければいけないという日常の中で生き物と接しています。そういう時に生き物に対して感じることと、科学をやってわかってきたことを重ねて考えられる人になればいいんだよとおっしゃったんです。
だから、科学はこうだとか、日常はこうだとかいう話ではないんです。ましてや、科学は死物にするから日常のほうが素晴らしいとか、日常は非科学的だからすべて科学で考えなさいとか、そんなことではない。一人の人間の中に科学で考えるということと日常で考えるということの両方があるのであり、それが感じられる人間になりなさいと言われたんです。これが救いでしたね。私は科学を捨てたくないですから。
藤田
たとえば、ブーンと蚊が飛んでいる時に、科学者だとその蚊についていろいろと研究して、知識を得ようとするわけですが、日常だと叩こうとして追いかけると、悲しそうにイヤだーと言いながら逃げているみたいに思ってしまいますよね(笑)。
中村
それは仏教の修行をしてらっしゃるからで、何も考えずにバン!と潰す人が多いんじゃないですか?(笑)
藤田
いや、僕もたいていはそんなことも思わずに潰しますが(笑)。でも、やはり捕まりそうになるとなんだか悲しそうなトーンで泣いているように感じてしまうところはあります。それも大事だということでしょうね。

(つづく)

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プロフィール

ポートフォリオ

(上)中村桂子 Keiko Nakamura

1936年東京生まれ。59年、東京大学理学部化学科卒。理学博士。三菱化成生命科学研究所、早稲田大学人間科学部教授などを経て、93年、大阪・高槻市に「JT生命誌研究館」を設立。大腸菌の遺伝子制御などの研究を通じ、生物に受け継がれている生命の歴史に着目、「生命誌」を提唱する。2002年、同館の館長に就任、現在に至る。著書は『生命科学から生命誌へ』『自己創出する生命』『科学者が人間であること』『小さき生き物たちの国で』など多数。2015年、ドキュメンタリー映画『水と風と生きものと〜中村桂子・生命誌を紡ぐ』(藤原道夫監督)が公開された。http://www.brh.co.jp
 
(下)藤田一照 Issho Fujita

1954年、愛媛県生まれ。東京大学教育学部教育心理学科を経て、大学院で発達心理学を専攻。28歳で博士課程を中退し禅道場に入山、得度。33歳で渡米。以来17年半にわたりアメリカで坐禅を指導する。スターバックス、フェイスブックなど、アメリカの大手企業でも坐禅を指導し、曹洞宗国際センター所長を務める(2010~18年)。著書に『現代坐禅講義』(角川ソフィア文庫)、『禅僧が教える考えすぎない生き方』(大和書房)、『僕が飼っていた牛はどこへ行った? ~「十牛図」からたどる「居心地よい生き方」をめぐるダイアローグ』(ハンカチーフ・ブックス)など。共著に『感じて、ゆるす仏教』(KADOKAWA)、『禅の教室』(中公新書)、訳書に『禅マインドビギナーズ・マインド2』(鈴木俊隆著、サンガ新書)、『禅への鍵』(ティク・ナット・ハン著、春秋社)など。http://fujitaissho.info

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TISSUE vol.03

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特集:まなざしのいいひと

内容紹介

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