生命科学というと、自分たちの日常とはどこか遠い、特別な世界の話のように感じられるかもしれません。
でも本来、生き物の「いのち」を扱っているのが生命科学です。それが遠い場所にあるのだとしたら、どこかがおかしい。そんな思いで「生命科学」から「生命誌」へと展開し、生命のいとおしさを紡いできた中村桂子さん。
私たちが生きているバックグラウンドには、生物が歩んできた38億年の歴史がある……そんな「生命誌」の語り部である中村さんに、ぜひお話ししてほしいとお願いしたのが、禅僧として多方面で活躍する藤田一照さんでした。
禅と生命誌。こちらも一見すると遠い場所にありそうですが、共通項になるのは「いのち」を見つめるまなざし。たがいの世界観が混ざり合って、この現実の中で「強く、優しく」生きていくための言葉が生まれたなら……。
2017年2月、中村さんのドキュメンタリー映画『水と風と生きものと』の上映会のあと、初対面したお二人のトークが始まりました。

長沼敬憲(ハンカチーフ・ブックス編集長)

4まど・みちおの詩が語るもの

2019年9月12日

中村
そのお話と関連するかもしれませんが、まど・みちおさんが「蚊」の詩をたくさん書いていらっしゃるんです。いま、「まど・みちおの詩で生命誌をよむ」というラジオ番組をやっているんですが、その内容をまとめた本(注1)にまどさんの「蚊」の詩を全部取り上げたんです。いまおっしゃられたように、蚊が寂しそうにとまっているとかあるんですよね。
藤田
ああ、ありますね。ちょうど(持参していた本を)開いたページにありました。これもご縁ですね(笑)。
  
(中村さんが朗読を始める)

蚊も亦(また)さびしいのだ。

螫(さ)しもなんにもせんで、眉毛などのある面を、しずかに触りに来るのがある

中村
普通はそんなこと考えもせずに蚊が飛んできたらバン!とやっちゃいますよね? ところがまどさんは、蚊がフッととまったらこういうふうに思う。ここが私がまどさんを好きなところなんです。
藤田
(こうした日常の捉え方を)略画と呼ぶのはどうなんでしょうか? 略画というより、ものすごい密画のようでもあり、これを略画というのは申し訳ないような気がするんです。
中村
日常だから全部が略画というものではないということですね。たしかにとても細密に心の働いている略画は、密画と呼んでもよいかもしれませんね。まどさんの詩は全部そうだと思います。
藤田
僕も実は坐禅についての本を書いたんですが(『現代坐禅講義』)、その中にまどさんの詩を引用しました。言いたいことをすごくやさしい言葉で、しかもイメージがパッと湧くようなものなのですごく助かるというか。
中村
助かりますか(笑)。
藤田
はい(笑)。だからこの『まど・みちおの詩で生命誌をよむ』というタイトルを見た時に、先ほどの岡田先生の「細胞の社会」ではないですが、すごくピタッとくるというか、ものすごくタイムリーだなと。(今回の対談が)決まってからこの本が出たので、おっしゃるように、これもまたご縁だったなと。
中村
確かにそうですね。
藤田
せっかくなのでひとつ質問させてください。僕がずっと持っている疑問なんですが、僕らは生き物であり、いわば、生きている物質ですよね? 生きている物質と死んでいる物質の決定的な違いというのは? 僧侶としては臨終の席とか、僕自身も肉親が亡くなる場面に何度か立ち会っていますが、そこで何が起きるのかというのが……。
略画的に言えば「昇天した」とか「天国へいった」となるのでしょうけれど、密画でいうと生き物が死に物になる時、何が起きるといえるのでしょうか?
中村
言い逃れるわけではありませんが、実を言うと、生物学では「生き物とは何か」という定義はまだできていないんです。もちろん科学的に、教科書的に言えば生き物というのは水のようにつながっているのではなくて、「藤田さんは藤田さん、私は私」というふうに区別されていてきちっと境界があってまとまっているものです。そして、必ず代謝をしています。
たとえば、マイクがここにありますが、それはここにあるというだけです。でも、私がここに来れば必ずここの空気を吸うわけです。吸って、出して、吸って、出してということを必ずやります。酸素は代謝と関わります。三番目が「複製をする」ということです。DNAを持っていて自分を作って子どもへとつなげていく。四番目が「進化をする」ということです。どんどんと変わっていく。だから38億年前に生き物が生まれましたが……。
藤田
それは(生き物の定義を)全部を備えたものですか?
中村
そうです。すべてを備えたものが生まれたんですが、もしも進化ということがなかったら、いまでもその当時の生き物がいるわけで、私たちなどいるはずがありません。いまいる生き物はいないはずなんです。だから、あるものからどんどんと変わって新しいものを生み出していく。それが生き物です。このマイクは進化はしませんでしょ?
藤田
人間が作っていけば違いますが、それ自身がやることはないと。
中村
そうです。生き物はそれ自身が進化をするんです。でも、これは教科書的な定義です。生き物というのはどういう性質かということはすべての教科書に書いてありますが、それがわかったからといって亡くなった方についてわかるわけではありません。もちろん、そこで代謝が止まります。それは確かなのですが、「だから生き物って何?」と聞かれても「これぞ!」という答えはなくて、私はその時々に自分の感じていることを答えます。
ある時は「時を紡ぐもの」と答えます。私たちは一瞬、一瞬どんどんと変わっていって、必ず時を紡ぎます。残念ながら最後は死というところへいくわけです。

(つづく)

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プロフィール

ポートフォリオ

(上)中村桂子 Keiko Nakamura

1936年東京生まれ。59年、東京大学理学部化学科卒。理学博士。三菱化成生命科学研究所、早稲田大学人間科学部教授などを経て、93年、大阪・高槻市に「JT生命誌研究館」を設立。大腸菌の遺伝子制御などの研究を通じ、生物に受け継がれている生命の歴史に着目、「生命誌」を提唱する。2002年、同館の館長に就任、現在に至る。著書は『生命科学から生命誌へ』『自己創出する生命』『科学者が人間であること』『小さき生き物たちの国で』など多数。2015年、ドキュメンタリー映画『水と風と生きものと〜中村桂子・生命誌を紡ぐ』(藤原道夫監督)が公開された。http://www.brh.co.jp
 
(下)藤田一照 Issho Fujita

1954年、愛媛県生まれ。東京大学教育学部教育心理学科を経て、大学院で発達心理学を専攻。28歳で博士課程を中退し禅道場に入山、得度。33歳で渡米。以来17年半にわたりアメリカで坐禅を指導する。スターバックス、フェイスブックなど、アメリカの大手企業でも坐禅を指導し、曹洞宗国際センター所長を務める(2010~18年)。著書に『現代坐禅講義』(角川ソフィア文庫)、『禅僧が教える考えすぎない生き方』(大和書房)、『僕が飼っていた牛はどこへ行った? ~「十牛図」からたどる「居心地よい生き方」をめぐるダイアローグ』(ハンカチーフ・ブックス)など。共著に『感じて、ゆるす仏教』(KADOKAWA)、『禅の教室』(中公新書)、訳書に『禅マインドビギナーズ・マインド2』(鈴木俊隆著、サンガ新書)、『禅への鍵』(ティク・ナット・ハン著、春秋社)など。http://fujitaissho.info

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TISSUE vol.03

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