生命科学というと、自分たちの日常とはどこか遠い、特別な世界の話のように感じられるかもしれません。
でも本来、生き物の「いのち」を扱っているのが生命科学です。それが遠い場所にあるのだとしたら、どこかがおかしい。そんな思いで「生命科学」から「生命誌」へと展開し、生命のいとおしさを紡いできた中村桂子さん。
私たちが生きているバックグラウンドには、生物が歩んできた38億年の歴史がある……そんな「生命誌」の語り部である中村さんに、ぜひお話ししてほしいとお願いしたのが、禅僧として多方面で活躍する藤田一照さんでした。
禅と生命誌。こちらも一見すると遠い場所にありそうですが、共通項になるのは「いのち」を見つめるまなざし。たがいの世界観が混ざり合って、この現実の中で「強く、優しく」生きていくための言葉が生まれたなら……。
2017年2月、中村さんのドキュメンタリー映画『水と風と生きものと』の上映会のあと、初対面したお二人のトークが始まりました。

長沼敬憲(ハンカチーフ・ブックス編集長)

5ストンと落として何かをやる

2019年9月19日

藤田
時を紡ぐのが終わると?
中村
最後は死に行き着くわけですが、私たちが生きているとは何かと問われたらそんなふうに答えることもあります。それから、ある時は生き物とは「矛盾の塊」と答えることがあります。
たとえば、無駄はないほうがいいとされますね? ですが、免疫では何億という免疫細胞を作って外敵に備えます。そして「ああ、今日は私が役割をする外敵は来なかった」となったら死んでいくんです。たいへんな無駄をしています。でも、それがないと私たちは生きていけません。「無駄だ」とか「変だ」と思われることを全部なくしていくと「死」にたどり着いてしまうんです。だから、「矛盾があるから生きている」と思わざるをえない時があるんですね。
「時を紡ぐもの」であったり、「矛盾の塊」であったり、決定的な答えはないのですが、「生き物らしさ」をひとつの言葉に限定しないで考えていくのがいいのではないかと思うんです。死についても「これが正解」というのは科学的にはありません。
藤田
科学というのはいつでも仮説で、仮説を反証するような証拠が出てきたらいつでも変えていくんですよね。頑固に変えない人もいるかもしれませんが、建前としてはオープンエンドでいつでも変わっていくもので、それこそ進化していくものであるという点が、科学の素晴らしいところだと思います。
中村
科学者に質問される方は必ず答えを求めますが、私たちが日常で一番大切にしていることは「問い」なんです。立派な功績を残した科学者は、それまで誰も考えなかったような新しい問いを立てた人なんですね。新しい問いを立てると良いお仕事ができる。だから「問いを見つけること」が科学なんです。もちろん、問いを見つけたらその答えを探し始めますが、たいていの場合は「これで終わり!」という答えは決まらないですね。
たとえば、宇宙がそうですね。宇宙137億年の歴史があって、急速に解明されてきたと思ったら、またダークエネルギーなどが出てきて……。
藤田
(宇宙の)4%しかわかっていないといわれていますからね。
中村
そう。とんでもないものが出てくるわけです。進めば進むほど、わけがわからないものが出てくるのが科学とも言える。そしてそれを楽しめるのが科学者なんです。答えがないと落ち着かないというなら科学者には向きません。
藤田
もう一つ質問したいのは、「次の文明」、「次の科学」というふうに、映画の中で「次」という言葉を何回か話されていましたが……。
中村
そうですか? 私はいまの社会、特に21世紀に入ってからの社会は、「人間も生き物のひとつだ」と考えている立場からすると、とっても生きにくい社会になっているという実感があるんです。
たとえば、〝HATE〟(ヘイト)という言葉はありえないですよ。人類73億人は全部同じルーツから出ているんです。だから、兄弟げんかはありますが〝HATE〟ではないでしょ? ちょっとしたいさかいが起こるのは生き物の世界の常ですが、〝HATE〟という言葉は、この中からは出てきようがありません。そんな言葉がこんなに日常の中に出てくるなんてかつてはなかったと思うのです。
藤田
仏教では、普通の人間のことを「凡夫」といいます。この凡夫の特徴は、「事実に注文をつける」、「不平不満を持ってしまう」という点なんですが、それは人間の特徴でもあると思うんです。事実に文句を言っては変えていこうとするのも人間の能力で、科学やテクノロジーを発達させた原動力ですよね。単に知りたいだけで終わらずに、知って利用して自分の都合のいいように周囲を変えていこうとするのも人間の生き残りの戦略だったのでしょう。
ただ、いかんせん歯止めがきかず、暴走してしまっている。その結果、いまの生きやすくするために作ったはずのシステムや社会が、人間にとって逆に生きにくい社会になってしまっています。
中村
生きにくくしてしまいましたね。小さな気持ちであっても、「こういうふうに考えるんですよ」ということを一人でも多くの方と共有し、何かが変わっていくといいなと思うんですが……。
藤田
こういうことは、浅い知識で終わらないで、ハートとかソウルに臍落ちすることが必要ですよね。
中村
考えをただ共有するというのとは違うんです。先ほど、科学としては世界中の仲間が生命誌絵巻を認めてくれると話しましたが、それはおそらく「頭」で認めてくれているんです。それは共有のための基盤だと思いますが、そこから体にストンと落とす時には文化によって違う。お釈迦様から始まった仏教も含めて、日本人が取り入れた文化はその「ストン」ができると思うんですが、違いますでしょうか?
藤田
そうだと思います。でも、自動的にはそうならない気がしていて……。
中村
ストンと落ちたからといって、その人が何かがすぐにできるとか、力を持って何かを成せるということには必ずしもつながりません。ただ、私はストンと腹に落ちる人が多いのが日本人じゃないかなと思っているんです。

(つづく)

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プロフィール

ポートフォリオ

(上)中村桂子 Keiko Nakamura

1936年東京生まれ。59年、東京大学理学部化学科卒。理学博士。三菱化成生命科学研究所、早稲田大学人間科学部教授などを経て、93年、大阪・高槻市に「JT生命誌研究館」を設立。大腸菌の遺伝子制御などの研究を通じ、生物に受け継がれている生命の歴史に着目、「生命誌」を提唱する。2002年、同館の館長に就任、現在に至る。著書は『生命科学から生命誌へ』『自己創出する生命』『科学者が人間であること』『小さき生き物たちの国で』など多数。2015年、ドキュメンタリー映画『水と風と生きものと〜中村桂子・生命誌を紡ぐ』(藤原道夫監督)が公開された。http://www.brh.co.jp
 
(下)藤田一照 Issho Fujita

1954年、愛媛県生まれ。東京大学教育学部教育心理学科を経て、大学院で発達心理学を専攻。28歳で博士課程を中退し禅道場に入山、得度。33歳で渡米。以来17年半にわたりアメリカで坐禅を指導する。スターバックス、フェイスブックなど、アメリカの大手企業でも坐禅を指導し、曹洞宗国際センター所長を務める(2010~18年)。著書に『現代坐禅講義』(角川ソフィア文庫)、『禅僧が教える考えすぎない生き方』(大和書房)、『僕が飼っていた牛はどこへ行った? ~「十牛図」からたどる「居心地よい生き方」をめぐるダイアローグ』(ハンカチーフ・ブックス)など。共著に『感じて、ゆるす仏教』(KADOKAWA)、『禅の教室』(中公新書)、訳書に『禅マインドビギナーズ・マインド2』(鈴木俊隆著、サンガ新書)、『禅への鍵』(ティク・ナット・ハン著、春秋社)など。http://fujitaissho.info

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TISSUE vol.03

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内容紹介

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