自然を観察の対象にし、それを細部にわたるまで分析することで普遍的な真理を見出す。……この数百年、そうした科学的探求が受け継がれることで、この世界の実体が鮮明に浮かび上がってきましたが、その一方で、分析が進めば進むほど、観察者である「わたし」と観察されるものである「自然」は分離されていき、気がついたら事実だけが一人歩きする味気ない世界に変わってしまった面もあります。

「生命誌」(Bio History)を提唱される中村桂子さんは、DNAの研究者として先端科学の第一線で活動されてきた一人。科学の世界のすばらしいエッセンスを大事にしながら、このつながりを取り戻すための新しい学びの体系を伝えてきました。

私たち人間は、自分もまた自然の一部であることを忘れ、それにゆえに暴走し、自ら不安を増幅させてしまう、とてもふしぎな生き物。そのふしぎさを優しく受け容れながら、目に見えるものと目に見えないもの、科学と野性をどうつないでいくか? 

大阪の「生命誌研究館」を訪ね、「生命誌」の視点から、これからの私たちの進んでいく道すじについてお話を伺いました。

3大事なのは「世界観」を決めること

2020年4月27日

――
先生は、「人間は生き物であり、自然のなかにいる」ということを話されていますよね?
中村
そうです。私が思っているのはそれだけです。だけど、先ほども話したように、抽象的に「生命を尊重しよう」と言っても私にはピンと来ない。「生命尊重って何?」って考えた時に、たとえば、ここに蟻が這っているとするでしょう。この蟻も親がいないと存在しませんが、その親の親のことを考えていくと38億年もさかのぼれるんですよ。つまり、目の前の小さな蟻も38億年かからないとここにはいない。それってすごいことですよね?
――
生命尊重が実感につながっていきますね。
中村
どんなに立派なロボットも、パーツをひとつずつ組み立てればできてしまうけれど、38億年はかからないですよね? でも、蟻は38億年がないとここにいない。すごいことだけれども、同時にそれは当たり前のことでしょう? もちろん、人間もそのひとつであって、生き物であり、自然の一部なんです。そういうことをベースに生きていくということは、当たり前なんだということです。
――
科学では、論文を書くにしても数量化って絶対に必要じゃないですか? ただ、それだけでいいのかという話につながりますよね?
中村
そうです。
――
その部分が伝わりそうで伝わっていないような気がするんですが?
中村
自分の持っている世界観が決まっていればいいだろうと思うのです。数値は出さなければいけませんが、問題は自分の持っている世界観です。
世界観が生き物の世界観であれば、数値はそこに吸収できます。でも、それが機械のような世界観で、こんなに格差があっても平気な世界観を持っていたら、同じ数値が違う意味を持ってしまうでしょう? ここでも毎日DNAを分析しているわけで、やることの問題ではないんです。問題は自分の持っている世界観です。それが生きるということをベースにした世界観になっていない、そこが問題なんです。
――
世界観ですから、当然、数字やデータには表しきれないものですよね。
中村
大事なのは、私はどう生きるか、私はどう暮らすかということだけです。大森先生が見事に書いてくださっているでしょう?
――
哲学者の大森荘蔵先生ですね(注1)。
中村
『科学者が人間であること』(岩波新書)で紹介しましたが、あれが私も共有する世界観です。毎日暮らしていくなかで、ふとアフリカの人のことも考えたりするという世界観ですよ。
――
大森先生は、「人間とは機械ではない何かである」「当然、命ですから機械的なものではありません」といったことを書かれています。「生きた自然との一体感」という言葉も使われていますが、一見すると、かなり抽象的ですよね。
中村
いえいえ、蟻の話と同じですよ。
――
同じですか。
中村
家にいると蟻が入ってくることがよくあるので、私は蟻さんとお話するんです。ところがそんな話をすると、「私ならすぐに潰すわ」って言う人がいる。私は「潰さないでよく眺めてお話すると面白いわよ。邪魔になるなら庭に追い出してあげてよ」と言うんですが、そうすると「ゴキブリはどうするの?」って。私もゴキブリは殺虫剤をかけます(笑)。
――
その違いはどこにあるんですか?
中村
台所には食べ物もあり、衛生的にも問題がありますからね。それは私の勝手なんですけれど、でも、そこが「生きる」ということの面白さなんですよ。生きることが大事だと言っても、「じゃあ、あなたは何も食べないのですか?」と問われたら、毎日食べますよね? それらもすべて生き物ですから、何も殺しませんとは言えないわけです。ただ、自分が生きていくなかで「これは」って考えながらやっていくと、「蟻まで潰さなくていいでしょ?」と……。
――
なんだかわかる気がします。
中村
まあ、冗談ではあるんですが、ゴキブリを殺す時は「あなたも38億年だけど、ゴメンね」って言ってから潰すんです。だって、お米だってお肉だって、何だってそうでしょう? 38億年かかっている点は同じです。あなたも「38億年だけどごめんなさい」と思って食べているわけでしょ?
――
はい(笑)。
中村
だから、私の辞書には「正義」とか「絶対」って言葉はないんです。私のやっていることは正しいから従いなさいなんて言わないけれど、でも蟻くらいは気にしてもいいじゃないって感じですね(笑)。
――
それは理論というより、感覚ですよね?
中村
それを「世界観」と言っているんです。大事なのは、その世界観をどうすればいいのっていうことなんですが、その答えはひとつです。自然と接していなければ絶対にいけません。先ほど「絶対はない」と言ったのには矛盾するけれど(笑)、これは決して否定できない真実です。
――
自然と接するからこそ、自然に寄り添った世界観が生まれるということですね。
注1 大森荘蔵…1927〜1991年。哲学者。物心二元論に対する批判から、物と心の問題を解決する「重ね書き」の方法を提唱。この二つの描写を重ね合わせたものが、人の「経験」の正確な描写であると説いた。

(つづく)

2016年7月、大阪・高槻市「生命誌研究館」にて収録。

「DNA研究は面白いけれども、庭の花が咲くのを見たり、子供を育てている時の生きものへの気持ちとなかなか重ならない。そこをつなぎたい」(中村桂子・談)

生命誌の考え方を多くの人に伝えるべく、生命誌研究館を開館する際に描いたのがこの「生命誌絵巻」。細胞内のDNAの総体であるゲノムに書きこまれている生きものの歴史と相互の関係を表しています。

中村桂子先生が「生命誌」を提唱したのは、1990年代初頭。
生命科学を探究するだけではおろそかになりやすい、「生きているってどういうことだろう?」という基本をふまえ、科学を学ぶことが日常の、一人一人の生き方につながる、そんな新しい知のあり方を目指しています。

生命誌の「誌」には、博物誌といった言葉があるように、歴史物語という意味があります。
生き物が活動している様子、体や心の構造などをよく観察し、そのバックグランドにある普遍的な世界を紡ぎ合わせていくことで、生命科学がもっと当たり前のものになると、中村先生は考えておられます。

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プロフィール

ポートフォリオ

中村桂子 Keiko Nakamura

1936年東京生まれ。59年、東京大学理学部化学科卒。理学博士。三菱化成生命科学研究所、早稲田大学人間科学部教授などを経て、93年、大阪・高槻市に「JT生命誌研究館」を設立。大腸菌の遺伝子制御などの研究を通じ、生物に受け継がれている生命の歴史に着目、「生命誌」を提唱する。2002年に同館の館長に就任。2020年4月より名誉館長に就任した。著書は『生命科学から生命誌へ』『自己創出する生命』『科学者が人間であること』『小さき生き物たちの国で』など多数。2015年、ドキュメンタリー映画『水と風と生きものと〜中村桂子・生命誌を紡ぐ』(藤原道夫監督)が公開された。
http://www.brh.co.jp

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