自然を観察の対象にし、それを細部にわたるまで分析することで普遍的な真理を見出す。……この数百年、そうした科学的探求が受け継がれることで、この世界の実体が鮮明に浮かび上がってきましたが、その一方で、分析が進めば進むほど、観察者である「わたし」と観察されるものである「自然」は分離されていき、気がついたら事実だけが一人歩きする味気ない世界に変わってしまった面もあります。

「生命誌」(Bio History)を提唱される中村桂子さんは、DNAの研究者として先端科学の第一線で活動されてきた一人。科学の世界のすばらしいエッセンスを大事にしながら、このつながりを取り戻すための新しい学びの体系を伝えてきました。

私たち人間は、自分もまた自然の一部であることを忘れ、それにゆえに暴走し、自ら不安を増幅させてしまう、とてもふしぎな生き物。そのふしぎさを優しく受け容れながら、目に見えるものと目に見えないもの、科学と野性をどうつないでいくか? 

大阪の「生命誌研究館」を訪ね、「生命誌」の視点から、これからの私たちの進んでいく道すじについてお話を伺いました。

4自然のなかでみんなが暮らせる社会

2020年4月27日

中村
ですから、東京の高層マンションには本当に疑問を感じています。そんなところで子どもを育てるのは、本当に恐ろしいことです。
――
じつは、僕たち夫婦も高層マンションに住んでいた時代があって、いろいろ経験していまは田舎のほうに移ったんです。
中村
そうなんですか?
――
37階に2年間住んでいました(笑)。なかなか科学的にどうとは言えませんが、生物としては非常に不自然なことだと感じました。
中村
そう感じられたんですね。
――
めったにない経験でしたし、楽しいこともたくさんありましたが、やはり鳥でもないのに常時、体が浮いているわけですから、自然とは言えません。床はありますが、大地の上にいるのとは感覚がまったく違う。そうした体験もあって、自然のなかで過ごすことの大切さはより感じています。
中村
高層階だと窓も閉じたままでしょ? そうすると「いま、風が吹いているね」とかなかなか感じられないのではないですか?
――
はい。天気も気温も、下界まで降りないとよくわからないところがありました。それが普通というのは、やっぱり変ですよね。
中村
私の家は東京の世田谷にあるんですが、幸いなことに緑がとても多い場所で、エアコンを使うことはほとんどないんです。
――
夏の暑い時にもですか?
中村
はい。そういう時は、必ず天窓を開けて風を通すようにしています。そうすると、暑い日にお客様が来られても、「ここは涼しいですね」って言われます。都会の家でも、うまく風を通せれば本当はエアコンなんて必要ないんですよ。
――
昔の日本家屋もそういう構造でしたからね。
中村
そう。必要なら風が通るところに座ればいいわけ。そうすると我慢してじゃなく、好みでエアコンを使わないことが選べます。汗をかいてお客様が来られたら、もちろんエアコンをつけてさしあげますが、それ以外は使いません。省エネとかエコとか自然環境のためとかじゃなくて、自分が好んでやっていることなんですけれども。
――
そうした感覚が最初にありきというか、それが世界観なんだと思うんですが。
中村
そうですね。私は東京の生まれですが、幸いにも原っぱのあるような場所で育ち、そうした感覚が体に染みついていますから、そこから世界観がつくられたのでしょう。ですから、子どもの教育だとかエコだとかいちいち言わないで、普通に自然のなかでみんなが暮らせるような社会にしていけたら、日本は素晴らしい国になると思います。日本人はもともとそういうことが得意で、とっても素晴らしい能力を持っている民族ですから、本当はその力を使ってただ普通にやればいいだけなんです。

(つづく)

2016年7月、大阪・高槻市「生命誌研究館」にて収録。

「DNA研究は面白いけれども、庭の花が咲くのを見たり、子供を育てている時の生きものへの気持ちとなかなか重ならない。そこをつなぎたい」(中村桂子・談)

生命誌の考え方を多くの人に伝えるべく、生命誌研究館を開館する際に描いたのがこの「生命誌絵巻」。細胞内のDNAの総体であるゲノムに書きこまれている生きものの歴史と相互の関係を表しています。

中村桂子先生が「生命誌」を提唱したのは、1990年代初頭。
生命科学を探究するだけではおろそかになりやすい、「生きているってどういうことだろう?」という基本をふまえ、科学を学ぶことが日常の、一人一人の生き方につながる、そんな新しい知のあり方を目指しています。

生命誌の「誌」には、博物誌といった言葉があるように、歴史物語という意味があります。
生き物が活動している様子、体や心の構造などをよく観察し、そのバックグランドにある普遍的な世界を紡ぎ合わせていくことで、生命科学がもっと当たり前のものになると、中村先生は考えておられます。

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プロフィール

ポートフォリオ

中村桂子 Keiko Nakamura

1936年東京生まれ。59年、東京大学理学部化学科卒。理学博士。三菱化成生命科学研究所、早稲田大学人間科学部教授などを経て、93年、大阪・高槻市に「JT生命誌研究館」を設立。大腸菌の遺伝子制御などの研究を通じ、生物に受け継がれている生命の歴史に着目、「生命誌」を提唱する。2002年に同館の館長に就任。2020年4月より名誉館長に就任した。著書は『生命科学から生命誌へ』『自己創出する生命』『科学者が人間であること』『小さき生き物たちの国で』など多数。2015年、ドキュメンタリー映画『水と風と生きものと〜中村桂子・生命誌を紡ぐ』(藤原道夫監督)が公開された。
http://www.brh.co.jp

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