自然を観察の対象にし、それを細部にわたるまで分析することで普遍的な真理を見出す。……この数百年、そうした科学的探求が受け継がれることで、この世界の実体が鮮明に浮かび上がってきましたが、その一方で、分析が進めば進むほど、観察者である「わたし」と観察されるものである「自然」は分離されていき、気がついたら事実だけが一人歩きする味気ない世界に変わってしまった面もあります。

「生命誌」(Bio History)を提唱される中村桂子さんは、DNAの研究者として先端科学の第一線で活動されてきた一人。科学の世界のすばらしいエッセンスを大事にしながら、このつながりを取り戻すための新しい学びの体系を伝えてきました。

私たち人間は、自分もまた自然の一部であることを忘れ、それにゆえに暴走し、自ら不安を増幅させてしまう、とてもふしぎな生き物。そのふしぎさを優しく受け容れながら、目に見えるものと目に見えないもの、科学と野性をどうつないでいくか? 

大阪の「生命誌研究館」を訪ね、「生命誌」の視点から、これからの私たちの進んでいく道すじについてお話を伺いました。

7「普通に生きる」ための決心

2020年4月27日

――
先生はなぜそうならなかったんでしょうか?
中村
私はそれができないので外れたんです。ここはプライベートですから、どこか権力あるところへ頭を下げにいく必要がないのがありがたいことです。
――
たとえば、普通のサラリーマンであれば、それが会社だったりしますよね? そこで自分を変えざるをえないとしても、「じゃあ辞められるのか?」という問題になります。
中村
難しいかもしれないけれど、やっぱり自分のまわりの小さな世界を少しずつでも変えていくという決心をするしかないですね。私は決心だと思いますよ。
――
決心ですか?
中村
何もしないでのほほんと暮らしていて物事が変わるはずがないので、やっぱり変えていくという決心です。私はがむしゃらではないので、運が良くて自分の好きなことをしてこられました。だから、偉そうなことは言えません。でも、自分なりにある種の決心をしているんです。こういうことを言うのもなんですが、男の人は決心が下手ですね(笑)。
――
下手かもしれないですね。
中村
やっぱり、女の人のほうが強いですね。
――
何が違うんでしょうか?
中村
わかりません(笑)。だけど、いまの世の中を見ていると、「ここで決心すればいいのになあ。私だったら決心するのに」と思うことがあるんです。でも、そうならない。「男の人は決心しにくい要素が多いのだろう」と思います。
――
男性のほうが理屈っぽく、直観で動けないところがあるんじゃないでしょうか?
中村
いや、弱いんじゃないかしら(笑)。本当の意味の強さが足りないんじゃないですか? やっぱり、私はいまは「決心の時」だと思います。そして、その決心は何のためにかと言うと「普通に生きるため」です。とってもくだらないことのようですけれど、普通に生きるために決心をする時だというのが、いまの私の気持ちです。
――
今回、それを一番伝えたいなって思いました。
中村
そんなことを決心するなんて、本当にバカみたいですね(笑)。だけど、それがいまだと思いますよ。決心をしなきゃあ。
――
そのために背中を押してくれるのが、先生の本であったり、映画であったり……。
中村
そういう活動が少しでも増えてくるといいですよね。それは本当にそう思います。
――
たとえば、宮沢賢治とか南方熊楠とか……、生きていた当時はあまり理解されていなかった異端の人たちが、いまの時代の我々に「普通」を教えてくれるような気がしています。
中村
彼らは、男の人だけど決心がありますよね。そういう人が(後世に)残るんじゃない?
――
先生が映画(「水と風と生きものと」)のなかで出会った方々も、そういう雰囲気を持っておられるというか……。
中村
映画のなかに登場された方たちは、私が普段お世話になっている仲間ですが、ここで刊行してきた季刊誌でも、この20年ほどで百人近くの方と対談をしてきました。
――
先生とおつきあいしている以上、同じ感覚を持っておられるということでしょうね。
中村
もちろんです。実際には百人どころか、もっと数え切れない出会いがありましたし、特に映画に出られているのは感覚も合い、お仕事も素晴らしいと思っている方々です。
――
お話を伺って改めて感じたのですが、皆さん、決心をした人たちだったわけですよね?
中村
ええ。私はそういう人たちでないとお会いしたくないですから(笑)。
――
その視点で見ると、研究の内容に興味があるなしにとどまらず、もっと違う何かが引き出せる気がします。もちろん、先生からも決心を感じとってもらえれば、変わる人もいると思います。
中村
そうですね。自分もできるなって思ってくださると嬉しいですね。おっしゃる通り、映画に出られた方たちなんかは、決心した人たちですからね。
――
皆さん、生き方が美しかったり、清々しかったり、軽やかだったり……。
中村
新宮晋さんとか素敵でしょう?
――
印象深いですね。あの「風のミュージアム」にもいちど行ってみたくて。
中村
いいですよ。新宮さんに限らず、みんなニコニコしながら、次々と新しいことをしていますよ。ああ、ニコニコしながらがいいんですね。たぶん、決心しているとニコニコできるんですよ。そうじゃないと、苦虫を噛み潰したような顔になるんだろうから。

(つづく)

2016年7月、大阪・高槻市「生命誌研究館」にて収録。

「DNA研究は面白いけれども、庭の花が咲くのを見たり、子供を育てている時の生きものへの気持ちとなかなか重ならない。そこをつなぎたい」(中村桂子・談)

生命誌の考え方を多くの人に伝えるべく、生命誌研究館を開館する際に描いたのがこの「生命誌絵巻」。細胞内のDNAの総体であるゲノムに書きこまれている生きものの歴史と相互の関係を表しています。

中村桂子先生が「生命誌」を提唱したのは、1990年代初頭。
生命科学を探究するだけではおろそかになりやすい、「生きているってどういうことだろう?」という基本をふまえ、科学を学ぶことが日常の、一人一人の生き方につながる、そんな新しい知のあり方を目指しています。

生命誌の「誌」には、博物誌といった言葉があるように、歴史物語という意味があります。
生き物が活動している様子、体や心の構造などをよく観察し、そのバックグランドにある普遍的な世界を紡ぎ合わせていくことで、生命科学がもっと当たり前のものになると、中村先生は考えておられます。

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プロフィール

ポートフォリオ

中村桂子 Keiko Nakamura

1936年東京生まれ。59年、東京大学理学部化学科卒。理学博士。三菱化成生命科学研究所、早稲田大学人間科学部教授などを経て、93年、大阪・高槻市に「JT生命誌研究館」を設立。大腸菌の遺伝子制御などの研究を通じ、生物に受け継がれている生命の歴史に着目、「生命誌」を提唱する。2002年に同館の館長に就任。2020年4月より名誉館長に就任した。著書は『生命科学から生命誌へ』『自己創出する生命』『科学者が人間であること』『小さき生き物たちの国で』など多数。2015年、ドキュメンタリー映画『水と風と生きものと〜中村桂子・生命誌を紡ぐ』(藤原道夫監督)が公開された。
http://www.brh.co.jp

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