自然を観察の対象にし、それを細部にわたるまで分析することで普遍的な真理を見出す。……この数百年、そうした科学的探求が受け継がれることで、この世界の実体が鮮明に浮かび上がってきましたが、その一方で、分析が進めば進むほど、観察者である「わたし」と観察されるものである「自然」は分離されていき、気がついたら事実だけが一人歩きする味気ない世界に変わってしまった面もあります。

「生命誌」(Bio History)を提唱される中村桂子さんは、DNAの研究者として先端科学の第一線で活動されてきた一人。科学の世界のすばらしいエッセンスを大事にしながら、このつながりを取り戻すための新しい学びの体系を伝えてきました。

私たち人間は、自分もまた自然の一部であることを忘れ、それにゆえに暴走し、自ら不安を増幅させてしまう、とてもふしぎな生き物。そのふしぎさを優しく受け容れながら、目に見えるものと目に見えないもの、科学と野性をどうつないでいくか? 

大阪の「生命誌研究館」を訪ね、「生命誌」の視点から、これからの私たちの進んでいく道すじについてお話を伺いました。

8日本の自然風土に根ざしたグローバル

2020年4月27日

――
先生、これからの世の中を変える力を、日本人は持っているでしょうか?
中村
もちろんです。私は世界のなかで一番その力を持っているのが、日本人だと思います。
――
とても心強いお言葉です。
中村
なぜかと言えば、欧米型の技術や経済システムをすべてしっかりと持っている、いわゆる先進国でしょう? そうでありながら、縄文時代から連綿と続く文化も失ってはいない。いま、欧米型のシステムに取って代われるものは東アジア、とりわけ日本のなかにあると思っています。
――
欧米型の考え方もシステムも、日本人はもう十分に学習しましたよね(笑)。
中村
明治以来、十分にしましたね。その点は優等生です。それが本当にいい勉強だったかどうかは考え直さないといけないけれど、十分勉強してきました。しかも、心の底にはちゃんと縄文以来の日本の文化を持っています。私の考えでは、そうした文化のベースにあるのが日本の自然です。
――
やっぱり自然なんですね。
中村
国土はアメリカやロシアみたいに大きくありませんが、海岸線はとても長くて、海が広い。だから、日本はとても広いんです。しかも、北緯30度くらいの、気候的にすばらしくいい場所に北海道から沖縄までが収まっていて、雪も降れば、珊瑚礁もある。世界じゅう探してもこんなに良い国はないですよ。この自然が私たちを育ててくれたんです。
――
世界観が育みやすい風土なんですね。
中村
そう。だからそれを大事にして、この自然をちゃんと活かして世界に発信すればいいんです。本当の意味のグローバライゼーションをやるには、こうした風土のなかで培われた日本の考え方が必要だと思います。私はよく言うんですけれど、日本だとお蕎麦屋さんだって本家があったり、元祖があったりするじゃないですか?
――
日本のその適当さがいいですよね(笑)。
中村
これからは、「あなたが本家なら、私は元祖よ」でやりましょうよ。アメリカとロシアもそんなふうにやってくれたらいいじゃないですか? 「こっちが本家でそちらは元祖だ」と競争しないで、どちらもしっかりやろうというふうになればいい。私たちがそういう考え方ができるのは、この日本の自然が作ってくれた恵みのようなものだと思います。
――
風土的なエッセンスの賜物というか。
中村
そうです。本(『科学者が人間であること』)のなかでは哲学者の和辻哲郎さんのことも書きましたけど(注1)、大事なのはやっぱり「風土」ですよ。かつての日本は、「なあなあ」だったかもしれないけれど、その「なあなあ」が社会を支えていたでしょう? そういうとても恵まれた風土だったんです。あまり能力のない人たちが「なあなあ」をやるととんでもないことになりますが、日本人は精神的にも知的にも能力が高かったから、ある種の「なあなあ」で上手くいっていたんです。
――
「和」の文化でやれていたんですね。
中村
もちろん、そのなかに変な「なあなあ」があるといけないから約束事も作られ、少しずつ変化して行くことも大事でしたよ。だけど、あんなにも急激に変える必要はなかったはずです。
――
抽象化された「自然環境」ではなく、具体的に感じとれる自然が「風土」ということですよね。環境との関わりを「問題」としてとらえるのではなく、もっと主体的に感じるには……。
中村
それにはね、東京に一極集中なんてしてちゃあダメです。北海道から沖縄までみんなが万遍なく住んで、その土地ごとの素晴らしさを活かして、世界観をつくっていくんです。
――
それを密画の世界と重ね描く……日常と仕事をもっとつなげていきたいですね。
中村
そう、だから高層マンションなんて建てていてはダメなんですよ(笑)。やっぱり普通に生きることを大事にしていかないと。私もそうしたことを、これから伝えていきたいと思っています。
注1 和辻哲郎…1889〜1960年。哲学者、倫理学者。『古寺巡礼』『風土』などを通し、独自の日本文化論を展開、西洋哲学との融合を目指した。

(おわり)

2016年7月、大阪・高槻市「生命誌研究館」にて収録。

「DNA研究は面白いけれども、庭の花が咲くのを見たり、子供を育てている時の生きものへの気持ちとなかなか重ならない。そこをつなぎたい」(中村桂子・談)

生命誌の考え方を多くの人に伝えるべく、生命誌研究館を開館する際に描いたのがこの「生命誌絵巻」。細胞内のDNAの総体であるゲノムに書きこまれている生きものの歴史と相互の関係を表しています。

中村桂子先生が「生命誌」を提唱したのは、1990年代初頭。
生命科学を探究するだけではおろそかになりやすい、「生きているってどういうことだろう?」という基本をふまえ、科学を学ぶことが日常の、一人一人の生き方につながる、そんな新しい知のあり方を目指しています。

生命誌の「誌」には、博物誌といった言葉があるように、歴史物語という意味があります。
生き物が活動している様子、体や心の構造などをよく観察し、そのバックグランドにある普遍的な世界を紡ぎ合わせていくことで、生命科学がもっと当たり前のものになると、中村先生は考えておられます。

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プロフィール

ポートフォリオ

中村桂子 Keiko Nakamura

1936年東京生まれ。59年、東京大学理学部化学科卒。理学博士。三菱化成生命科学研究所、早稲田大学人間科学部教授などを経て、93年、大阪・高槻市に「JT生命誌研究館」を設立。大腸菌の遺伝子制御などの研究を通じ、生物に受け継がれている生命の歴史に着目、「生命誌」を提唱する。2002年に同館の館長に就任。2020年4月より名誉館長に就任した。著書は『生命科学から生命誌へ』『自己創出する生命』『科学者が人間であること』『小さき生き物たちの国で』など多数。2015年、ドキュメンタリー映画『水と風と生きものと〜中村桂子・生命誌を紡ぐ』(藤原道夫監督)が公開された。
http://www.brh.co.jp

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